「私たちの主張」 - 未来を創造する建設業

  • 坪井 美穂 猛暑の続く八月、クーラーの効いた事務所。に「涼しー」と現場を終えたみんなが入ってくる。一気に賑やかになり汗臭くなる。けれどそんな中にも作業着に残った柔軟剤がほのかに香る。この夕方の時間が私のお気に入りだ。

     私はクレーン屋の事務員をしている。大学卒業後事務職であればと就活した為、クレーンにも建設業にも興味があるわけではなかった。寧ろそれまで、一般道をクレーン車が走っていたことさえ気付いていなかった。年度末に道路工事が増えれば迷惑だなと思っていたし、バックホウが近所で作業していればうるさいなと不快に感じていたことの方が多いと思う。

     就職して三年目。建設業に対する思いは百八十度変わった。なくてはならない世界だと。個人の家を建てるのも、大規模商業施設を作るのも、川に橋を架けるのも、道路・線路を造るのも修繕するのもすべて建設業の仕事だ。「あの工場、私の会社のクレーンで建てたんだ。」「あそこの海に並んでるテトラポットは会社のクレーンを使って寒い時期に波を被りながらみんなが並べたんだよ。」見掛ける度に私は家族や友人に説明する。もちろん完成された創造物はとても立派だ。しかし、力説したいのはその過程である。3Kと言われる建設業。危険・きつい・汚い。暑い日も寒い日も屋外での作業が当たり前、手順や操作を1つでも間違えば大きな事故に繋がってしまう現場。そんな環境の中でも各社元請下請が協力して1つの物を造りあげる。監督が居ても重機の手配がつかなければ、重機があっても運転手が居なければ、運転手が居ても手元で作業をしてくれる人が居なければ、人手がいても全体を知っている監督が居なければ、現場にいる誰ひとりが欠けても完工しないのである。誰もが必要とされている職場、誰にでも役割のある現場。私自身は現場に入らないが、私が作成した書類を元に施工体制に自社の情報が看板に書かれていると嬉しく思うし、責任を感じる。私の書類作成という仕事がなければクレーンもみんなも現場に入れないのだ、そう自負して仕事をしている。

     日常生活の中でも、自分が気にかけなければ気づかないことは多くあるだろう。今では現場に向かうクレーン車を一般道で毎朝のように見かけるし、トレーラーで輸送されているバックホウにも気付く。しかし、高校時代、通学路に同業のクレーン屋があり目立つ重機が並んでいたにも関わらず通学中の三年間、更にこの職に就くまで気付かなかった。つまり気持ちの持ち方や視点が変われば同じ事象でも気付くことも思うことも違ってくる。公共工事の際【ご迷惑お掛けします】という看板が出ていると思う。例えばこれが道路改修工事だとする。もちろんその工事によって私達利用者は工事期間中片側交互通行になったり迂回を強いられることになるし、近隣の住民は渋滞や騒音で迷惑を被ることは事実である。しかし、その工事を怠れば道路が劣化しいずれ大きな事故を引き起こす可能性が高まる。それならば、私たち一般人は【工事ありがとう】という気持ちを持たなくてはいけないと気付くと同時にこれは大勢の人に理解してもらいたいことだと強く感じるようになった。現在の建設業・建設業従事者に対するイメージは決して良い物ばかりでは無いと思う。しかし、私たちが快適に暮らす住まいや利用する道路、そういった身近な、もはやあることが当たり前になっている物を建設業・その従事者が支えているのである。自分が携わった物が目に見えて世界に残っていく仕事。自分達が建てた家、道路、学校。最近は特に震災に備え、避難タワー建設や耐震補強による小中学校の建替等の仕事も増えている。命を守ることに直結する物を体を張って作っている建設業界。東日本大震災後も仮説住宅建設や物資輸送路整備、人命捜索救助にと活躍したと聞いている。体が資本であるし、現場では縦社会もあり、決して楽な仕事ではないことはみんなを見ているとよく分かる。けれど、やりがいも一人一人の存在価値も各自の成長も強く感じる事ができる仕事であると思う。もっともっと誇れる産業であることを業界全体でアピールしていかなければいけないし、それを発信出来るのは現場の人はもちろんだが、私のような近くで彼らを見る事が出来る立場の役割なのかもしれない。第二東名開通や静岡空港開港にも関わったみんなは凄いと思うし、そういった華やかな物でなくても毎日汗を拭きながら地道に作業している姿はかっこいい。お子さん達に見せてあげたい程だ。彼らの日々の作業は未来を創っている。

     今日も無事みんなが帰ってくることを願いながら、私は自分の役割を精一杯果たそうと思う。そして、みんなが帰って来たら「お疲れ様です」と毎日笑顔で迎えることを忘れないようにしたい。建設業界内外にありがとうが溢れることを願って。