「私たちの主張」 - 未来を創造する建設業

  • 杉田 瑞穂
     子供の頃の将来の夢は男の子のように大工になることでした。家が工務店で庭に仕事場があったので、小さい頃からそこが遊び場でした。住んでいる家は祖父が建てた家で、普段使っているテーブルや椅子、ベッドなども父が造ったものを使っていました。仕事をしている父の姿を見て育ち、なんでも造りだせる大工という仕事に憧れ、私も自然と大工になりたいと考えるようになりました。

     高校を卒業して建築の専門学校に進み、設計中心の勉強をしていましたがいざ就職を考えた時、やはり大工になり、実際に自分で家を造りたいと考えるようになりました。両親には最初反対されましたが、どうしても挑戦してみたいという自分の気持ちを伝え、職業訓練校で大工の基礎を一年間学ばせてもらいました。訓練校では「のみ」や「かんな」の研ぎ方、道具の使い方、仕口・継手の練習など基礎を一から学び、最終的にクラス全員で建物を一棟建てるまでの実習を行い、建物が完成する喜びを味わうことができました。

     職業訓練校を卒業後は、東京の工務店に就職し大工として働き始めました。初めて入った現場は住宅の改築工事で、親方は七十歳近くのいかにも頑固な職人という方でした。最初は、「こんな女の子に何ができるのか。」という感じで全く相手にされず、また、自分も何をしたらいいのか分からずにいました。とりあえず、「できることから始めよう。」と毎日ホウキを片手に目についたゴミを掃除しながら職人さんの仕事を見ている日々でしたが、挨拶だけは常に忘れずに元気よく行っていました。一週間経つと話しかけてもらえるようになり、少しずつですが仕事の手伝いをやらせてもらえるようになりました。大半は掃除で終わりましたが、初めて働いた現場として今でも鮮明に記憶に残っています。大工見習いとして働きだしましたが、最初のうちはボード一枚を運ぶのがやっとで、天井を一人で貼るのに苦労し、人の何倍も時間がかかりました。たかい所も得意では無かったので足場上での作業は常に注意し、新築の建方時には屋根を敷くまでは緊張の連続でした。

     周囲からも何故この仕事をやっているのかとよく聞かれましたが、「この仕事が好きだから。」といつも笑って答えていました。それまで何も無い空間が日ごとに人の住む空間へと変わっていく様子は楽しく、また、そこにわずかでも自分の力が加わっている事は目に見える達成感がありました。完成した建物を見て喜んでくれる施主の笑顔に応えられるよう、自分も腕を磨いていきたいと強く考えるようになりました。大工として働いたのは四年間でしたが、とても充実した期間を過ごすことができました。

     住宅以外の建築にも携わりたいと考え、現在は地元の建設会社に就職し、積算の仕事に就いています。毎日机に向かい図面とパソコンに向き合う作業に最初は戸惑いも感じましたが、やっていくうちに建物を建てる上で必要不可欠な仕事だと分かりました。完成するのにどの位の費用が必要か図面上で読み取らなければなりません。間違った積算をしてしまうとそのまま現場に影響が出てしまう重要な仕事です。必要な材料、数量の拾いを行うだけではなく、設計事務所への質問点の確認を行うことや、決められた期間内にやらなければならない仕事量は想像以上でした。現場で働いていた時にはその現場で必要な材料がそこにあるのは当たり前のように感じて仕事をしていましたが、積算の仕事があって初めて現場が動き出すのだと今更ながら気付き、より慎重に積算を行うことを日々心がけています。また、実際の現場を経験して更に業務に活かせるようにと、現場監督の補助の仕事をさせてもらう機会がありました。大工をしていた時、監督はただ現場にいるだけで何もしていないように感じていましたが、施工期間が決まっている中で材料や人の手配、施工図面の確認や、職人や施主、設計事務所との打ち合わせ、また、周辺環境への配慮や地域住民との交流を行う等、現場がスムーズに運営されるために裏で行っている作業は幅広く、また専門的な知識も必要な仕事であると実感しました。様々な経験をする中で、建物一棟が完成するのには職人さんだけでなく、設計の人達や営業の人、積算業務を行う人など多くの人の力が加わっているのだと気付けました。

     このような多くの人が関わって一つの建物を造り上げていく建築という仕事は、どの立場で関わっていても、建物が完成していく上で何一つ欠ける事の出来ない重みのあるものです。また、関わった想いが強いほど完成した時の喜びは大きく、達成感があります。

     そんな建築の世界に是非、より多くの人たちに足を踏み入れてもらい、多くの喜びを感じてもらいたいと思います。