「私たちの主張」 - 未来を創造する建設業

  • 大泉 尚之
     私が建設業に携わって一年が経ちました。たったの一年ですが、今年の一年間は今まで先輩方が経験してきた一年とは違ったと思います。

     3月11日、東日本大震災により私たちの生活する宮城県は大きな被害を受けました。請け負っていた現場はもちろん、多くの一般住宅も簡単には直せないほどの被害を受けていました。宮城は直すだけでなく、沿岸部で津波の被害を受けた住宅では解体作業も多く残されていました。

     私自身も沢山の被災現場を見てきました。まだ一年しか業務をしていなく、経験はもちろん、知識も技術もないに等しい。けれど、先輩達だけでは手に負えない量の現場の数だったので、数件の現場を担当することになりました。

     私が担当したのは一般住宅でした。多くの家はお年寄りの方々が多く、最初の頃は震災直後でもあったし、他人を家の中に入れるという不安もあったのか、作業を始める時と終わる時の挨拶程度しか会話はありませんでした。でも、次第に色々話してくれるようになったり、一服の時間にお菓子やお茶を出してくれたりして、少しずつ心を開いてくれている感じがしました。正直、建設業に入ってこれまで人との繋がりがあるとは思っていませんでした。建設業に入る前と後、そして震災後、たった二年でこんなにも建設に対しての考え方が変わってくるとは思っていませんでした。そして、自分自身が建設に携わっている意味についても。

     私の地元も沿岸地域だったため、壊滅的な被害を受けました。もちろん、解体の依頼は私の会社にもきました。テレビや新聞など、メディアを通してでも津波の映像や写真を見るのは辛かったのに、まさか解体までやることになるとは思ってもいませんでした。実際に解体に携わることはありませんでしたが、会社での打ち合わせの度に地元の解体の話を聞いたり、解体場所の地図を見たら友人や知人の家だったり、休日に友人と地元に足を運べば自分の会社の旗や社名を目にしたり、正直辛かったです。足を運ぶ度に瓦礫は片付けられ、わずかに残った民家でさえ壊され、無くなっていく姿、ただでさえ思い出の物は全て流されて無くなったのに、わずかに残っていた町並みすら日に日に無くなっていく。震災後から、思い出を無くし、家族を亡くし、悲しみに暮れる人を何人も見てきた。自分の住んでいた家も、部屋も、大好きだった景色・風景ですら、徐々に薄れていく恐怖も、そんな自分に対する嫌悪感も知っている。そんな多くの人々の思い出を壊すことに、直接は関わっていなくても自分が加担しているような気がして、みんなを裏切っているような気がして辛かった。

     でも、「全然知らない人にやってもらうより、お前の会社でやってもらった方が、少なくともお前は俺たちの気持ちを分かってくれている。誰も何も思わず壊されるより良い。」 そう言ってもらえたことが嬉しかったし、私が建設業に憧れを抱いたときを思い出しました。

     誰かに感謝されるような仕事をしたい。少しでも誰かを笑顔に、幸せな気持ちにしたいと思っていました。今回の震災で、多くの人の笑顔が見られた。多くの人に感謝された。辛いことも大変な事も多いけど、喜ばれたとき感謝されたときは本当に嬉しく思える仕事。これからも、誰かに喜んでもらえるような仕事をしていきたいです。