「私たちの主張」 - 未来を創造する建設業

  • 柿崎 赳
     「建設業って3Kなんでしょう?」 それは大学時代の友人達と久々に集まり、居酒屋で飲んでいる時のことだった。私は友人達に、建設業で働いていると言うと、返す刀でこう言われた。私は心の中で「やはりまた言われたか…。」と呟いた。

     こう誰しもに言われると、もはや建設業の合い言葉ではないかと思えてくる。建設業は、「きつい」・「汚い」・「危険」。これら3つを合わせて通称「3K」。残念ながらこれが世間の目というやつだ。私はそれを言われるとムカっとするが、言い返す言葉が上手く出てこない。それは内心、私自身も建設業のイメージが3Kに近いものと感じていたからだ。

     その日も私は、自分でも何か良く分からない事を言い、有耶無耶にして話題を逸らした。私はその場ではっきりと、「建設業は本当は素晴らしい職業なんだ!」と言う事が出来なかった。私は何かモヤモヤしたまま、友達と別れた。

     そんなモヤモヤを抱えていても日々の仕事はやってくる。それは護岸の復旧工事をしている時の事だった。今まで体験した事のない凄まじい揺れが現場を襲った。私は堤防の上で立っている事も出来なかった。それは後に「東日本大震災」と名付けられる大地震だ。幸い、私の住む山形県の被害はそれほどではなかった。しかし、すぐ隣の宮城県は壊滅的な被害を被っていた。

     地震から2週間ほど経ち、山形県では大分落ち着きが見え始めた。我が社では被害復旧のため、石巻市に重機を搬入しようかとの話が出ていた。先だって私は被災地の石巻市に行く事になった。私はテレビで石巻市の被害を見ていたので、「何とか石巻の人の力になりたい。よーし、やってやろう!と熱い気持ちになっていた。だが実際に石巻市に着いてみると、そこは想像を遙かに超える光景だった。もはやここに何があったのか分からない。果てしない瓦礫の山。私は茫然と立ち尽くした。これはもうどうしようもないのではないか…。正直そう思ったのだ。

     来る前の熱い気持ちも、いつの間にか何処かに消えてしまったようだ。私はしばらく街中を、と言うか瓦礫の中をボーッと歩いていた。しかしそんな私を、ハッとさせる光景が目に入ってきた。それは陸上自衛隊と建設業者が、災害復旧のため必死に瓦礫処理をしている姿だ。自衛隊が派遣されたのは知っていたが、まさか建設業者がこんなに早く来ているとは思わなかった。その建設業者の必死な姿に、私は心の底から「感動」した。同時に、言葉では言い表せない熱いものがジワジワ体を駆け巡った。その時、すぐ側にいた地元の人がこう言ってきた。
    「自衛隊と建設業者には、本当に感謝しているよ。自分たちも危ないのにこんなに頑張ってくれて…。」

     私は建設業に携わり、こんなに心のこもった「感謝」の言葉を聞いたのは初めてだ。いや、ここまで心のこもった感謝は生まれてこのかた聞いた事が無い。無論、それは作業をしている人たちへの感謝の言葉なのだが、同業者だからか、何故か私も誇らしくなってしまった。その時私は思った。困っている人にこんなに貢献出来る建設業が本当に誇らしく、なんて凄い職業なのかと。以前からあった私の中のモヤモヤが消えた瞬間である。この時から、私の中の3Kは全く違う形のものとなった。

     「感動」、「感謝」、「貢献」。私が自然と建設業に感じた言葉だ。それは私の中でも悪いイメージだった建設業をガラリと変えてくれた新しい「3K」となった。

     今では建設業と言えば、悪いイメージが先行されがちだ。しかし、建設業の役割は計り知れないものがある。橋や道路等の公共事業だけではない。災害が起こった時のライフラインの確保や復旧活動等、常に地域には欠かせない存在なのだ。被災者にとって、それがどれだけ心強い存在か。今回私は身を持って感じる事が出来た。 地震から半年以上過ぎたが、それでも被災地の復旧作業はまだまだだ。困っている人も山程いる。建設業がやらねば誰がやるのだ。衰退産業だと言っている場合ではない。東北も建設業も、これからもっともっと盛り上げて行かなければならない。その一員になるために、私も日々努力し勉強して行こうと思う。もちろん不安な事もあるし、大変な事も沢山あるだろう。でも大丈夫。私に以前の様なモヤモヤは無い。私には心強い、新しい「3K」がついている。

     建設業のイメージを変えるためには、建設業者が自ら立ち上がるしかない。私はまず、この新しい「3K」を私の周りから少しずつ広めて行きたいと思う。最後になるがこれだけははっきりと言いたい。
    「建設業は本当に素晴らしい職業です!」